2016年7月6日水曜日

環境を変える

皆、環境を変えなさい。
学校のような、集団で属する環境ではなく、もっと自分のやりたいことが出来るような、自由な環境に移るのが良い。
経験しなさい。大人になりなさい。自由になりなさい。
色んなことを自由にすることで、経験し、成長し、世界の本当の姿、裏側から見た世界の姿を知ることが出来る。
それは、そのまま、経験によって、世界の全てを知ることが出来る。
高い大学に、そういう人間が多い。賢い人間は、そういう人間しか居ない。
環境が変わったら、環境を思い出しながら、色んな環境を実際に知るように努めること。
考え方を作りなさい。自分で考え方を作ることで、科学者のように分かる。
人生や社会の「自由になっていく段階」を考えていた。自由になっていく、と言う視点から、人生や社会の経験的な段階と成り立ちを考えていた。
昔の文章は、色んなことをするのを考えていた。
体感し、価値観を知り、考える機会を持ち、知や真理を知る。
そういう、「沢山のことを同時にし、世界を広げていく」のを考えていた。
一つのことしかしないのは悪くないが、沢山のことを同時にすることで出来ることもある。
最近は、一つのことしかしなくなったが、それは馬鹿になる。
むしろ、最近も最近で、賢いと思えば良い。これなら、天才になったように見える。
社会がどんな社会になっていくか、のようなことを、心と具体例とネットで、辿って、考えて、経験して分かっていた。
環境を実現出来る人間だった。
いくらでも自然な経験をしていた。引き篭もりの経験から、自然に成長し、出立して分かっていた。この世界をどのように見つめるべきか、そういうことを経験から分かっていた。
人間の活動から、この世界と対象のことを分かっていた。理性から、機械は人間の側にあるが、自然は人間の側に無いと考えていた。また、社会的な意思と可能性を考えていた。
自分は、まともになりたい。もっと本当にまともな人間になりたい。
「出来る」と言う視点から、環境と社会の可能性を理解していた。
世界は自然に変えられるべきだ。そういう、自由な思想を書いていた。

2016年7月5日火曜日

欲求

欲求、感情、環境、行動などを、心理学的に、経験から分かっていた。
具体例から、社会、法則、基盤などの自然な可能性と変化を分かっていた。
森羅万象を、知性と「出来ること」から、「そうなればそうなる」の法則で考えていた。
言語、数学、都市設計、社会モデルなど、あらゆる森羅万象を考え方と発想で分かった。
怖いのは、悪いセックスとポルノ画像が悪い。
辛いのは、うつ病なのにパソコンで頑張るのが悪い。
子供に戻っているのは、子供時代の経験と精神がおかしいからだ。
生きていれば治る。昔のそういう辛い煉獄を忘れた方が良い。
自分は、もっと主観的なことを考えた方が良い。
たまに客観的になると良い。そうすると、ものごとのあり方のようなことが分かる。
昔は、主観と客観をバランス良く考えていた。
そういう風に、経験から考える方法を洞察すると、賢くなる。
賢い人間は、そういう人間が多い。そういうわけで、馬鹿が賢い。
馬鹿な方が知性がつく。主観だけになった方が、終わらない。
大人になって考えると、子供の頃に嫌いになったものは、全部間違っている。
自民党も、学校も、コンピュータも悪くない。
この世界に、悪いものは何もない。
悲惨なものやおかしなものも悪くない。
悪も、悲惨なだけだ。社会の方を良くすれば、自然に悪は消え去る。
何故か、社会がそんなに良すぎるのも悲惨だ。意味がない。
パソコンのUIは、Webページのようなページを中心に、EmacsやVimのようなコマンドやキーボードショートカットを作って、VBマクロのようなマクロを追加するような、そういうUIにすれば良い。
コマンドを入力して、ページを切り替え、ページを読み込んだり、ホームページのような高度なデザインのページを表示する。
そして、Chromeのように、プラグインや拡張でそのページの中でプログラムが動いて、ページに拡張が入り込んで、ページをさらに加工して表示したりする。
そして、GUIのボタンではなく、ページそれぞれにボタンやメニューがある。そういう、Webアプリケーションのようなインターフェースにして、タブで切り替えるようにする。クラウド的にも連携する。
さらに、モバイルのUIも作って、色んなところからページを表示出来る。GUIのボタンのようなものはなくなる。GUIでは、拡張をインストールし、キーボードショートカットを作る。そして、Emacsのように、色んなモードを作って、コマンドはUNIXのコマンドをもっとページ的に拡張したものを作ると良い。
それから、抜本的なOSの操作体系の見直しをする。いつでも表示するメニューやボタンは無くして、場合場合によって切り替えるようにする。そして、右クリック2回押して一般メニューを表示する、と言ったように、もっと沢山のショートカットを作って、ボタンとショートカットの関係を出来るだけ簡単に教え、覚えられるようにする。ヒントのようなものも、ただポイントやホバーをした時に表示するだけではなく、Wikipediaのように直感的に表示したり、どこからでもリンクしたり出来るようにする。
色々と難しいが、そういう、HTMLライクなインターフェースは、FirefoxやChromeなどを参考にすると良いかもしれない。
「ページ・アンド・エクステンション」と言う名前にすれば良い。
マウスも悪くはないが、キーボードのコマンド入力や実行も、もっと効果的にすれば良い。常にシェルを表示して、入力した内容は、ページに返ってくるようにすると良い。
昔は、デジタルな精神をしていた。
経験から、意識で人間のことを分かった。ネットの経験がそこまであった。
右翼も左翼も、自由も平等も、社会も理性も、成長も、現実も理想も、全部知り尽くした。
右翼は、何も出来なくなっているが、左翼は、馬鹿になっている。逆にも見える。
そういう、「社会を知り尽くした大人」のようなことを言う。そういう文章だった。
あとは、理性的な方法や認識とか、創造性や合理性のような理想のことを言う。
理想がどういう意味で理想なのか、どういう意味で同じなのか、などを言う。
そういう、「自由な中での類似性と、分析の当然な方法」のようなことを言う。
そういうわけで、信念が同じだとか、認識には方法があるとか、など、「実地的で段階的な、認識と分析の進歩の段階」を書いていた。
皆は、それぞれが頑張れば良い。そういう、「それぞれがする」と言う発想から、協力や社会を作る。そうして、「仮想現実の創造」のようなことを考える。仮想的な中で、歴史が正しくそれぞれの価値観と自由の力で発展し、多様性となって共同体となるような、「経験と自由の世界」を創造していた。
因果性の想像力、人生と経緯、そして政治と世界を創っていた。
歴史や弁証法から、全員を毎日創造した。
現実では、テレビと戦っていた。戦いとは言うが、ただ、愛していただけだ。
もうない。そろそろ、全部完全に書いた。
政治のようなものを、「それぞれが何を見て、何を知って、何を行動しているか」と言う、自由なモデルから考えていた。そこから、品質保証とか、色んなことを社会主義のように発想した。また、共同体と組織を作って、自由と共有とシステムの社会理論を考えていた。
あとは、人間の常識や先入観を疑う、自然科学の考え方も多かった。普段意識していないが、地球には角度やスピードもある。人間には、音、光(見た目)、熱、臭い、力、感触ぐらいしか知覚出来ないが、明らかに、動物には知覚されなくても存在しているような、もっと沢山の宇宙とものの属性が存在する。人間には何も分からない。自然現象も、どうにかすればコントロール出来る可能性はあるし、生命なんか、簡単に作れるのかもしれない。魂もあるように見える。ヘーゲルの言う、絶対精神のようなものもあるかもしれない。神はいくらでも居るだろう。
それこそ、皆が正しいと思っていることは、何も正しくないと疑う必要がある。そこまで行くと、哲学は宗教のようになる。神を信じないと分からない。不思議と、神を信じると、宇宙では本当に良いことが起きる。神を信じないものには何も良いことは起きない。
ネットの経験をしていると良く分かる。何が正しくて、どう考えるべきかが分かる。可能性を留保して、そのことを決める際には、どのように決めるべきか、逆に、それを決めることによって、何を実現出来るかが分かる。ネットにはそういうところが賢い人間が多い。社会のことも、経験から良く分かる。まるで救世主のように、社会の全てを知り尽くして、何をどうすれば良いか知ることが出来る。
賢くなるためには、論理学的なことを考えれば良い。特に、状況と可能性から条件や意味を考えると良い。ものは、作ってもらえる相手が居れば、作ってもらうことが出来る。それは、自分が作ったのと何も変わらない。そういう風に、社会的な能力や、可能性を実現する条件や、決定の連鎖や、原因を実現する経験のようなことを考える。昔は、それ以上、積み重ねたり、モデルと照らし合わせたりして、普通の人間より高度に、数学的なことを分かっていた。もちろん、推論や実験は多かった。
世界の構造と関係を知りながら、仮説を立てて実験すること。
ただ、そんなに難しいことは考えなくて良い。数式なんか要らない。言葉で、当然のように考えれば良い。何もかも、必然的にそうなるのか、それとも、相対的に変えられるのか、のようなことから考えれば良い。
経験を変えれば変えられるのか、絶対に変えられないのか、どう考えるのが賢明で、何をするのが愚かなのか、そういうことを考えれば良い。
経験的に考えれば何でも変えられるし、可能性を留保すれば色んな方法がある。
そういう、当たり前の中で、社会的、行動的に真理を見出すことが出来る。
そういうものを、哲学と言うのだと思う。むしろ、これでは宗教に見える。新しい自分の宗教の経典にしか見えない。むしろ、経典も多い。
社会とは、何なのか。それは、絶対精神のようであって、実地的な具体例の変化のようでもある。ただ、自分が思うに、出口の隠された迷宮のようなものであると同時に、それぞれがそれぞれのキャラクターを演じる、舞台のようなものでもある。社会的なことを言うなら、平等へとなっていく過程のように見えて、本当にそれぞれがそれぞれの「らしさ」を「ありのままに」生きることが出来るような、そのための、「目的を持った分配、調整、文明」の手段であって、「文化の変貌」であるように思う。最終的な文化は、「真実の価値観」を持った人間によって行われる。その価値観は、「それぞれ」の価値観であると同時に、「あらゆる」ものの価値観であるべきだろう。
真面目に考えて、社会では価値観の合意があれば良い。価値観の合意から、自由な共同体が生まれる。いつも、そういう真面目に考えて、色んな社会を作っていたのが、昔の文章だ。
認識は、実際の姿と関係性を考えていた。
あとは、オープンソースを考えていた。日本にはオープンソースがあまり根付かないが、それでも、オープンソース社会と日本には、共通点が多いと言っていた。
ただ、それは良く分からない。何故か、ロシアと日本は文化的に良く似ている。
良く知らないが、ロシア語では、名詞の後に格変化が付く。日本語の格助詞と同じだ。
それに、ありえない文字を使う。キリル文字と言うアルファベットのロシア版を使う。それは、おそらく、文化的に外国人の流入が少ないのかもしれない。
昔は、全部をいくらでも作りながら、社会のコピーのような文章を書いていた。
自分は、皆の方が賢いのが分かっていない。戦いをしないだけで、皆の方が賢くて、善人で、出来る人間が多い。むしろ、誰も2ちゃんねるをしないから馬鹿なだけで、むしろ、2ちゃんねるをしているから馬鹿なだけだ。自分が賢いわけがない。
皆の方が賢いのに、なぜか最近だけ、自分の方が賢くなってしまった。馬鹿なのに賢くなると、本当に賢くなる。自分は馬鹿だ。
むしろ、馬鹿だと思うなら、本を読むか、学校に行けば良いが、それはそんなに賢くない。自分はきちんと本を読んでいる。まだ、世界史の本の続きを読んでいる。ゆっくり読んでいるからそれで良い。
むしろ、もう一度パソコンのことがしたい。今度は、色んな技術の本を読みたい。経済学の本も読みたいし、心理学もしたいが、そこまでは出来ない。哲学はもう全部知ったせいでつまらないから、引き続き歴史になる。
哲学を全部知ったとは言うが、何も知らない。入門本をいくらか読んだだけだ。それで終わりになるのもありえない。何もしていないと思うから、こういう風にまだ生きている。
むしろ、パソコンの方が良く見える。昔読んだ、暗号技術の本は面白かったし、ハッカーと画家と言う本は昔一番好きだった。そういうわけで、パソコンは悪くない。昔は、Lispを良く分かっている人間だったが、何もしていない。マニアックな知識は多かったが、プログラミングなんか全く出来なかった。ただ、技術の歴史だけは良く知っていた。特に、UNIXとプログラミング言語の概説史に詳しかった。
社会を良くすれば、テロリストのような社会悪は減るだろう。だが、それだけでは社会が良くなったとは言えない。皆に理性と経験を与えて、この世界を本当に幸福な世界にするべきだ。そのためには、過度な発展と都会化が間違っているのかもしれない。豊かなのは良いが、何もしないのは悪い。
自分は、世界史なんか読まなくて良い。今、日露戦争のところだが、これ以降は20世紀で戦争と革命が起きているだけだ。適当に知っているからそれで良い。もっと別の何か良い本を読んだ方が良い。
自分は、デカルトやウィトゲンシュタインが良いと思う。あるいは、ユング心理学が良い。あるいは、数学の歴史、仏典のことば、経済学の入門などがある。ただ、もっと違う、新しい気分で読める本の方が良いかもしれない。それらは、もう、鬱屈とした「いつまでも同じ」と言う本の部類に入る。
学校は、全員平等に、強制するのが悪い。もっと自由に、好きな分野を学習するようにすると、きちんと良い学校になるのが分からない。やり方が古い。工場や軍隊のようにやるから間違っている。細胞の構造は、賢いのに、全員に強制するせいで馬鹿なものに見える。細胞の構造が好きな人間だけがやれば良い。そういう理由で、中学・高校は意味がない。大学だけにした方が良い。自分のように、専門的なコンピュータのことをやっていた方が、あとで哲学や歴史のことが出来る。そういう、自由な教育、と言うものを考えても良いだろう。
自分は、心理学と経済学のことをする。それが一番、自分に合っていると思う。
ただ、学校も馬鹿ではない。僕は学校は好きではないが、自分がプログラミングのことなんか何も出来なかった。Linuxは何も出来ていない。それに、数学なんか全く出来なかった。数学的に考える、哲学のようなものは出来たが、数式なんか解けていない。昔は、ネットで馬鹿になっただけの人間だ。学校はあった方が良い。最近は、昔の自分を賢いと思うのが間違っている。学校の方が賢い。学校が賢いだけだ。悲惨に、宗教や執筆がまだ賢いから、こういう人間になる。そういう人間が居ないせいで、本当に皆より自分の方が賢くなった。今考えると、UNIXのことも本当に沢山知っている。そういうわけで、自分も馬鹿ではないが、きちんと学校に行った方が良い。
むしろ、高校は、賢い人間に一般教養を全部教えたいだけだ。自分の昔を思い出すと良い。何もしていない。きちんと頭は賢いのに、一人だけで何年も何もしなかった。そのせいで馬鹿になった。本当に、遊んでいるだけの馬鹿は馬鹿になる。高校できちんと勉強している人間は多い。本当に、そういう人間の方が賢い。自分を馬鹿とは思わなくて良い。きちんとデカルトのように分かった自分を賢いと思えば良い。だが、大学や高校は悪くない。一般教養を全部教えているのは、大学にも多い。一般教養科目では、きちんと文系にも数学を教える。高校は賢すぎるだけだ。
あまり自分のことを哀れに思わない方が良い。皆それぞれ違うから、それで良い。不思議と、こちらの馬鹿な何もしない執筆の期間が、もう9年も過ぎた時点で意味がない。昔の遊んでいるだけの高校生なんか、たった4年間遊んだだけだし、あれはUNIXなど色んなことを勉強している。こちらの9年なんか、狂って馬鹿になっているだけで、文章を書く以外、何一つ行動をしていない。おかしいから、昔の方がまだ賢い。神のように賢い人間だった。自分は賢いから、何も悪くない。
頭がおかしいのは、おかしな人格を作り過ぎただけだ。こちらの経験で、本当にいくらでもおかしな人格を作った。機械みたいな人格が、まだ生きて、分かっている。それを殺すしかない。ただ、殺しても死なないから治らない。そういう人格は、何か大切な理由で生きている。そういうわけで、何も治らないまま、放っておくとすぐに治る。そういう、「治す」をしているだけだから、何も治さない方が治る。
自分は、本当に心理学と経済学に向いている。経済学は、昔の、自由で、世界を知って、世界を変えようとして、自由を本気で守ろうとした、そういう若い少年に向いている。心理学は、最近の、おかしくなって、本気で皆のことを正常に治そうとして、自分の心も治したくて、本気で頑張っている、そういう人を愛する娘に向いている。そういうわけで、昔が経済学で、今が心理学だが、それは逆にしか見えない。だから、心理学と経済学をやれば良い。それが、哲学と歴史の方に先に出会ってしまったが、それには向いていない。マスターだから哲学に向いていて、歴史には普通に向いているだけだ。ただ、歴史に向いているようには見える。本当にやりたいのは哲学には見える。

2016年7月4日月曜日

あとになって笑えるように

あとになって、笑えるように生きなさい。
「やっぱりやめておけばよかった」と言う風に、後悔するのではなく、「馬鹿だったし、辛かったけど、今考えると、あの時ああするのは良かったし、良い思い出になった」と笑えるように生きる。
この世界に、矛盾する真理はない。
真理は矛盾しない。矛盾しているようで、どの真理も、それなりに正しい。
それぞれが思うこと、意見することは、それなりに根拠がある。
環境的、経験的に考えて、矛盾する意見や真理は存在しない。
出来事においてもそうである。
起きるべくして起きることしかない。
原因は沢山あるが、矛盾はしない。
だが、自由にすること。
社会的に見て、その人しか分からないこと、その環境にしか分からないことは、沢山ある。
政府は、世界の全てを見ることは出来ない。
だが、統一は悪くない。
ある意味、同じにすることで、そういう限界を克服することが出来る。
それもそれで、矛盾はしない。自由と平等は、矛盾しないが、同じではない。
多重人格は辛い。治した方が良い。
人格を統合して、融和すると、治る。
世界は、精神病になっている。そんなに興奮するのではなく、落ち着くこと。
「良い」の頻度を少なくした方が良い。
そんなに「良い」がいくらでもあると、精神病になる。
辛くても、生きていれば、生きていることによって、楽になる。
全てを復活させて、生きること。それが、一番楽になる。治す方がおかしくなる。
そんなに全部信じるのはおかしい。
疑うことと、信じることのバランスを保つこと。それが賢い人間が、賢くなる。
ただ、どの人間もそれなりに賢い。
誰もが賢いから、自分の賢い点を考えれば賢くなる。
一番悪いのは、無いものねだりと分かったフリである。それが一番分からなくなる。
経験から、社会の可能性がどのように変えられるのかを分かった。
そこでは、矛盾するものは矛盾せず、間違っているものは全て正しい。
正しい思想とは、全部同じにしながら、全部自由にし、そして、その上で共有することだ。
辛いことは、いくらかしながら、生きていれば楽になる。
辛いことを、いつまでもしていると辛いように見えて、生きていると、その方が楽になる。
生きている、と言う本質は、楽になる、と言うことに繋がる。
昔のこと、古いことは、忘れること。昔、正しかったことは、今では正しくない。
今と昔では、自分は別人だ。昔のことを全部消して、今だけにすると分かる。
考え方から前提まで、何もかも変わってしまった。大人は、そのせいで分からなくなる。
厳密に考えるのも良いが、何も知らずに推論すると、誤った結果になってしまう。
当然のこと、仮想現実の実験結果から分かることは出来る。
ただ、自分が見ている世界は狭いし、普通だと思っていることも普通ではない。
世界を知って、社会を知って、自分の世界を広げて分かるのも悪くはない。
人間が何をしたくなるか、欲求、動機、きっかけを支配していた。
全体像の構造を作って、細部を全て知った。そして、推論から解明した。
議論を知って、会話して、この世界の実際のところを全て知った。
もう、何もしなくて良い。むしろ、辛いままで良い。
人格は統合しなくても、分裂したまま生きていれば楽になる。
そんなに治さなくて良い。
昔は、成り立ちと説明から、何でも成り立たせて分かっていた。
自分の言うこと、他人の言うこと、何でも正しいと思っていた。
自分の間違いは、そういう、ペテン師は一番悪い。
そういうわけで、正しいことを信じないと分からない。疑っても、どちらも正しくなるだけだ。ある程度の「普通」は、信じないと分からない。「自由な経験とそれによる善悪や社会形成」を信じると良く分かる。ただ、自由も自由で悪い。自由なんか、自由な中で、一番意味の無い考え方だ。
ただ、真実を分からないと思うのはおかしい。きちんと、経験と理性が合致するような、本当の真実や真理と言うものは、本当にある。だが、ある程度のレベルに達するまでは、ほとんどは戯言のような真実ばかりだ。だが、真実に到達しないわけではない。本当の真実の世界では、この世の全てははっきり、くっきりと、本当の理解と知と人間形成の中での、経験的で方法的でもありながら、それらに左右もされないような、本当の真実の世界に目覚めることは出来る。本当の真実の世界では、全てが美しくて、神も、自由も、平等も、支配も、解放も、あらゆることに正しい価値観がある。そして、美しいだけではなく、全部のことを実現出来て、全部のことを知っている。全知全能の神の境地では、カントでも、フロイトでも、ニーチェでも到達出来ないような、自分だけの真実の世界と言うものを、普遍的な考え方から知ることが出来る。
自由とは、真実を知ることであり、どうすれば真実が分かるのかを、沢山の考え方を使って自分で考えることだ。そして、何がどう生まれる中で、どんな条件や過程があって、それを自分の力、皆の力で、どう応用出来るのか、実現出来るのか、方法を共有出来るのかを考えることだ。そして、その上で、自由とは何なのか、理想とは何なのかを確かめることだ。
いつも、そういう、知性のあることを書いていたのが、自分だ。そういう文章を、2007年から2008年に書いていた。いつも、そういう風に賢かった。
あとは、部品のような論理と実像の考え方で分かっていた。
それから、経験に基づくことを言っていた。
それを可能にするためにどんな方法があるか、それを可能にすることで何が実現出来るか、のようなことを、考えながら、考え方とモデルで分かっていた。それをすることによる意味を考えていた。
現代物理が知っているように、宇宙で起きた全てのことは、宇宙が何らかの形で知っている。そういうわけで、バークリは存在を知覚であり、存在は存在しないと言ったが、逆に、僕は、どこにでも存在している沢山のものは、どこにも存在していないものと「存在と言う意味で同じである」と言いたい。
それはどういうことかと言うと、ある意味、存在しているわけがないものも、存在しているものと同じように存在していて、その存在も、そうでない存在と同時に、宇宙がその存在のことを誰一人知らなくても知っている、と言う意味である。
要は、RPGのグラフィックだけではなく、データやキャラクター設定のようなものも存在していて、今はないだろう未来についても、宇宙のどこかのデータとして、存在しているし、そして、木星や土星だけではなく、未知のまだ無いどこかの惑星についても、すでに宇宙は知っている。そして、あらゆる現象は同じように、宇宙が支配し、同時に、宇宙がその現象の存在を知っている。
そういうわけで、宇宙は全ての存在と非存在のことを全て知っている。宇宙は、神のすることについても、全て知っている。機械ではなく、舞台であり、脚本は神が書くのだろう。
キャラクターの設定が人生とともに存在している時点で、運命や戦いのようなことは起きる。だが、自由の無いゲームはつまらない。誰かがこの世界を変えて、良い社会を築くことは出来る。それぞれが出来ることはそれぞれに任されているから、何が出来るかは自分次第だ。だが、ある程度の基本的なところは最初から決まっている。何かのせいで失ったものも、最初から自分の力で取り戻すのが分かっている。そういう運命は、賢い人間にしか起きることが無いのだろう。
ゲームと言うと、戦って勝利するように見えるが、そうではない。この宇宙は、愛のゲームである。愛を持って、皆を愛して、その愛によって偉大になる。戦っても死ぬだけだ。愛を持って、勇気と希望を与えて、強く生きながら、世界の皆を愛する。仏教でいえば、慈悲のあるものがカルマが高まる。
社会を知って、自由の本当の意味を知り、社会がどうなるかの可能性を知り、自由な中で何をするべきかを知り、何が出来て、そこから何が生まれるのかを知り、それぞれの人間がどのような人間なのか、どういう人間であるべきなのかを知り、自然やありのままから理想を知り、自由と言う概念から環境と人生の考え方を知り、世界を理想の世界にする方法と経験を知り、可能性は自然な中から生まれる想像力であると知り、マスターとなる。
昔から、自分はそういう、人生的な自由の段階を書く。そういう文章が多かった。
全ては自由に出来る可能性、能力、経験、影響力であり、社会の形成はそれぞれに許されている合意と可能性であり、歴史とは価値観の形成と自然な積み重ねである。
いつも、そういう、社会的、人生的な、段階的な変革と進歩の理論を一行で書いていた。
あとは、社会のことは、理論的に、ゼロベースで、共有と組織のようなものから、多様性と過程のようなものまで、あらゆる共生社会を成り立たせて考えていた。
愛国と言うよりは、友愛だった。スラムと言うよりは、誰をも思いやる慈悲の心があった。
それで、救世主のようになって、革命家のようになった。
そういうわけで、これで憂国の政治家だったのが自分だ。
志とビジョンのある、ニーチェのような指導者だった。
だが、当たり前の平等と行き過ぎた自由が好きだった。そういう、左翼の王だった。
キャラクター設定が決まっているせいで、最初からこういう戦いをするのが決まっている。
だが、そうでもない。見ていると、全て決まっているように見えて、そういう風に考えると、良く分からなくなる。最初から、自由を信じると賢くなるが、それは間違っている。
良く分からない。真実は神にしか分からない。
1000年と1秒は同じだ。神にとって見れば、100年を作るのは、一瞬を作るだけだ。
昔は、詰め込んで、全て作って、全てを作り替えるような、そういう「創造と変化」の文章を書いていた。そう言うと聞こえは良いが、実際には自分の心で支配しながら、馬鹿な文章を書いていた。
日本の学校や教育の問題点は、知識偏重、事実偏重になって、知恵や自分で考える力を育てることが出来ない。そこが一番おかしい。
もっと、「新しい世界を知る」とか、「新しい経験をする」とか、そういうところから、「自分でどんな世界を作りたいか」や「この世界をどうすれば良く出来るか」のようなことを考えるようにしなければならない。
そういうわけで、一度、この世界を全く分からなくして、自分で考える必要が出てくるようにしないといけない。社会を悪くするわけではない。自分で考える必要の全くない世界を止めないといけない。そういう、「ロボット社会」が悪い。もっと、自由で、主体性があって、経験豊富で、賢い人間との会話や意見交換が出来て、じっくり考える余裕と機会と場所と手段があるようにする。
昔は、それがそうなって、それがその時どうなるかを、良く考えた。
一度、死んだ。そして、生きると楽になる。それで精神もほとんど全て治った。
環境への適応を増やすと賢くなる。
生きると治る。不思議と、精神がおかしいのは、全部生きるだけで治る。
学校で知った「自分は何をどう考えるか」と言う視点は、社会と人生を知るうちに発展して、科学や社会や人間のことを全部知って、マスターとなる。ヘーゲルは、それを自己意識から絶対知へと至る、世界精神の覚醒過程であると考えたのだろう。自分の場合、何をどう知るか、何がどう出来るか、何をどう正しく出来るか、何がそこで可能性としてあるか、目的に対して何が出来るか、皆で協力して何が出来るか、価値観や理想をどのように実現するか、どのように発想しどのように実現出来るか、のようなことから、科学、人生、社会、人間、心、理由、手段のことを良く考えて、あらゆることを段階的に、真実とは何かを考えることが出来た。真実の環境から、可能性とシステムを知ることが出来た。

2016年7月3日日曜日

無くなる国

日本は、何もかも全て無くなっていく国だ。
皆が普通なのがつまらない。皆、文章を書けば良い。文章は誰でも書ける。
文章を書いて、おかしくなると、賢い経験が出来る。
書くのを止めると、辛い。そういうわけで、まだ書いている。
思いやりと学習から、自由な経験、関係、行動、社会形成を考えて、自由に何でも出来るようになって分かっていた。
守り、助け、協力し、知恵を出し合う。そういう、社会的考え方を分かっていた。
自分の行動した、そのことの意味を良く考えて、相手の視点に立つこと。
環境と視点を成り立たせて、作っていた。
科学的、人間的、人生的、社会的な概念を考えると良いだろう。
社会を全部作っていた。
認識と社会の具体例を知って、作りながら可能性を掌握して分かっていた。
それだけの人間だから、それだけをすれば分かる。
あとは、数学的に、作用を成り立たせて、直感と感情をバランス良く理性とともに使いながら、疑ったり、正しく信じたりして、普通の人間が何を分かっているか、真実はどんな可能性の下にあるか、などを分かっていた。
まだ風邪が治らない。のどから来る風邪が、鼻に変わった。
今日は辛い。何故か、今書くのを止めると、本当に辛くなる。まだ書いていた方が良い。
休んでいた方が良いと思う。寝ていた方が良い。
最近、YouTubeのミックスリストを聴きながら寝ている。バンプやPerfumeやAAAなど、いつも聴いている歌手を適当にミックスしてくれる。ただ、ネットの通信代を考えた方が良いかもしれない。
社会と心の経験や、社会や心がどうなっていくかを書いていた。
脳は、多重人格になるのが怖かった。もう怖くない。楽になった。
昔は、デジタルみたいな精神をしている。そこが賢かったおかしな男だ。
デジタルな感情から、人間の世界観を考えていた。
人間は、分からなくなった方が分かる。分かるままの方が分からない。
皆は、もっと分からなくなった方が良い。分からなくなると、分かるようになる。
全てが分かった人間は、分からなくなる。それは、そのままきちんと分かると治る。
右翼は、問題のすり替えをしているように思う。アベノミクスと安全保障と憲法と社会保障は、別々に議論するべきなのに、なぜか、アベノミクスと言って支持を拡大しながら、安全保障や憲法のことを勝手に変えて、国民が望んでいる社会保障のことはどこかに追いやっている。そういうところがおかしいから、民進党の方が良い。むしろ、昔の民主党の時代は、賢い人間が多かった。今の時代、良くなっているように見えて、暗闇のように辛くなっている。最近は景気は良いのかもしれないが、社会はどんどん悪くなっている。だが、日本は悪くない。世界的に見て、一番良い国が、戦後日本の平和な時代だ。自民党は悪くはないが、日本の戦後は明らかに一番良い。イギリス、アメリカ、イスラム、中南米(特にオリンピックの開催国であるブラジル)、どの国も最悪に悪いのに、日本には問題が少ない。
自分は、悪いものが普通なのを分かった方が良い。
それこそ、外食の業界なんか、悪い肉を使うだけではなく、調理しているように見えて、冷凍のものをチンしているだけ、と言うことが多い。ローカルな店なら料理しているかもしれないが、チェーン店などはどこでも冷凍をチンするだけだ。
そういうわけで、この世界は全部悪い。それこそ、人間なんか、皆馬鹿だ。
馬鹿と言うよりは、普通すぎるだけだ。
そういう、悪いは悪くない。それこそ、金儲けなんか全部悪い。オープンソースも悪いだろう。悪いのが普通の世界になった。そのせいで、Windowsが悪くなっている。この社会の中でどういう風にすれば勝てるのか、真面目に考えている。IT企業は、革新的なものを作って世界を変えたい。ただ、右翼も分かる。そういう、革新性や民主主義の自由は馬鹿だ。そのせいで右翼が増えている。
自分は、昔から、食べ物と機械が悪く見える。Windowsが嫌いだ。だが、テレビや学校も悪い。あとは、役人や政治家が嫌いだ。どうすれば良いのかは分からないが、むしろ、最近はどうする必要もない。今のままで十分良く見える。自民党が勝つのは、そのせいだ。皆、今のままの日本が一番良く見える。民進党は日本を破壊するように見える。それこそ、与党がやることは間違っていない。昔の決められない政治の方が悪かった。年配の賢い人間には、そういう、決められない政治が嫌いな人間が多い。大学では、保守の方が良く見える人間が多い。真面目に考えて、アベノミクスをするしかない。そこが分かる大学や企業の研究者が多い。自民党も馬鹿ではない。
昔は、当たり前のことを当たり前に考えて、全部分かった。
感情や意識の可能性を分かっていた。
「直感」とか、「視点」とか、「古代の世界」とか、「未知の可能性」とか、「自然」とか、「社会を作り替える自由」とか、そういうことを思っていた。
日本は、この世界を残したまま、当たり前に改善する世界を作ると良い。
守ることと、助けることは、矛盾しない。
守り、助ける、そういう王が支配すると良いだろう。
自分は悪くない。こういう、社会全体を導く王は居た方が良い。居ないと悪い社会になる。
人間は、正しく決めて、信じると分かる。
最近は、正しく決めて、信じて、判断して、戦って分かっている。
皆が分かっていないことを先んじて言って、支配して、勝って分かっている。
そういう、戦って分かるのを、そろそろもう止める。
病気は治った。精神的に全部治った。
辛いのは、生きていると楽になる。
治ると、死んで辛くなる。治らずに、ただ生きていると、楽になる。
「生きる」と言う活動は、同時に「楽になる」と言う活動だ。
文章は、どのように社会を経験して、成長し、社会を変えるようになるかを書いていた。
マスターへの過程のようなものから、社会のレベルや段階のようなことを書いていた。
人生経験から、人間の生きる知恵や考え方など、人間のことを分かっていた。
共産主義のような自由な社会のことを、形と形態を変えて、全部書いていた。
頭は、精神が崩壊するのが怖い。一度、いくらか壊していると、すぐに精神が楽になる。
共有、体験、実現手段、社会形成のプロセスと段階を書いていた。
学校の悪い点は、学校の友達が悪い。学校に居ると、自分の存在が小さくなって、自分にも他人にも意味が無く思えてしまう。それは、学校と言う場所で、自分のことを何も知らない相手と付き合うのが悪い。そのせいで、いじめが増えている。もっと親密になって、自分の存在を小さくしないような、そういう自由な関係を持った方が良い。会うのは最低限にして、相手のことを尊重し、自分のことを過小評価せず、それぞれがそれぞれのことを大切にし、無意味な馬鹿な関係にならないような、そういう、親友としての人間関係を持つ必要がある。そこでは、今の学校は間違っている。
インターネットは悪くない。ネットで真実の自由な体験が出来る。
ただ、僕はネットは嫌いだ。大人になると良く分かる。ネットなんかなくても、きちんと考えれば良い。最近のネットも、成長と経験と言う意味ではおかしくはないが、狂うと後でしっぺ返しが来る。ネットは、きちんと生きる、と言う人間の本来の意味を失っている。人間はもっときちんと生きるべきだ。
昔は、環境と心の変化を捉えて分かっただけだ。
社会や人生のことを、全て、捉えて、疑って、何が真実か、何がどうなるかを分かった。
自分に何が出来るのかから、具体的なネットでの体験をして分かっていた。
昔は、心理学的に人間の経験を考えて分かっていた。
そろそろ、日本語が分かる。
精神は、狂って死ぬとすぐに楽になる。だから、狂ったものを見ているとまともになる。
狂ったまともな人間しか居ない。
あとは、日本は本当に良い国だ。日本人から見た日本を分かった方が良い。
自分は、ドイツ人になっている。こういう、分かる馬鹿な人間はドイツ人に多い。
分かる人間はおかしい。悪い人間になっている。支配して、狂わせるように見える。

2016年7月1日金曜日

集団意識

昔は、集団意識や環境の意識を考えていた。
最近、失敗しなくなったが、それが悪い。もっと失敗した方が良い。
考え方からモデルと経験で、自由を分かっていた。
社会経験を知って、マスターのようになった。
森羅万象を考えていた。
自分は、理系の基礎が分かっていない。基礎の方法と構造を知った方が良い。
あとは、勉強はもう良い。そろそろ、仕事がしたい。
勉強をするなら、経済と法律をするのが一番良い。
放送大学は卒業したいが、むしろ、出来ない。難しい。
江戸時代の大名は、参勤交代によって、江戸と地方を行ったり来たりして、妻や子供などの人質を江戸に置いた。そのことによって、江戸時代は安定した。
ただ、そういう、反動体制、抑圧体制は、長くは続かない。
ペリー来航とともに、日本は開国を迫られ、それが倒幕運動へと繋がった。
日本人は、日本も外国も、全部違った世界だと思っているところがある。
外国人はそうではないのだと思う。ヨーロッパ人は、世界なんか全部同じに見える。
アメリカなどが日本人を理解出来ないのは、そのせいだと思う。
皆に分からせるのではなく、自分が分かった方が良い。
分からないのに分かったフリをするのは悪い。
個人主義でも全体主義でもない、皆で考え、決める、自由な社会を作るべきだ。
それが、民主主義の理想だ。
右翼は指導者を自由にするが、左翼は民衆を自由にする。
社会の可能性か、自分が勝つ可能性か、のようなところが違う。
勝つだけの右翼の方が悪い。左翼には理想がある。
全てがおかしくなった世界では、何を信じるか、何を疑うか、何が間違っているか、何が正しいか、良く考えて、経験と理解からビジョンを持つ必要がある。
それは、ブッダの言っていることを参考にすると良い。
特に、本当に信頼出来る仲間でないならば、旅への連れ合い人にはせず、きっぱりと一人で旅に出るべきだ。
そういう風に考えて、一人分かっていたのが、昔の自分だ。そういうマスターだった。
そして、社会のことを書いていた。社会をどういう風にしていくべきか、と言ったことを、マスターや救世主のような視点から、色んな社会を知ると言うような、社会経験のこととともに書いていた。そういう、吉田松陰のような人間だった。
政治、哲学、人間個人、社会全体、人生、経験の思想を、メタ的なモデルと会話の体験から分かっていた。
それから、物理的な考え方もあった。ネットで知識を知りながら、概念と可能性を考えることによって、積み重ねと方法から、自分の数学を作った。数学者のように分かっていた。
昔は、賢くない。インターネットとオープンソースだけで、そこまで分かった。何も出来ない馬鹿だった。遊びながら適当に考えていただけだ。ただ、真面目にプログラミングをしたかったが、出来なかった。夢を追いかけて、挑戦と失敗をたくさんしたし、社会のことも知ったが、本当に、何も出来なかった。もっと、大学のような場所に居た方が良かったのかもしれない。だが、自由に一人で考えながら、社会のことを知って、この世界をどういう風に変えるべきか、どのように自然を捉えるべきか、全て分かっていた。何も出来なかったが、あらゆることを考えて、全て解明した。
昔の自分は、認識と人生の段階と過程、数学的な考え方と積み重ねと知性、経験の捉え方、思い込み、社会と環境の変化と自由、知の概念と習得と形成の過程で分かっていた。
そういうわけで、数学は出来ている。数学が誰よりも出来た人間だった。
昔は、直感と解放で分かっていた。心を解放して、自由で分かった。
全てを感情で知り尽くしていた。真面目に考えて分かっていた。
昔は、世界観や認識など、本質的な人間のことを、経験のような視点から考えていた。
実際のところを考えて、認識の段階を知った。
今考えると、この世界は賢くない。皆が馬鹿だから、つまらない。

2016年6月30日木曜日

理解

僕は、理解していない。色々と、理解すれば分かる。
ものごとは、場合によって違う。例えば、植物も、育つ環境によって違う。
そういう風に、場合を1つ1つ考えれば良い。
何もかも一般化して、いっしょくたにして、正当化するのは悪い。
心を捉えること。
自分がいま何を考えていて、どんな環境において自分がどうなるかを考える。
経験から、実感して、自然や世界のことを感情で考えられる。
環境から自由になることで、全ての環境と全ての活動や心を分かっていた。
職人や科学者のような発想をして、経験から全員のことが分かった。
全ての労働とは、そういう、全員の発想、経験、方法のことを言っている。
そこから、社会の可能性が分かった。それくらいの人間だった。
昔なんか、考え方しか分かっていない。それで認識から経験を考えていた。
風邪をひいた。風邪薬を飲んで、のど飴をなめている。
今から、NOVAに行く。農園にはすでに行った。
NOVAに行ってきた。
僕は英語を習っているが、英語より、日本語で考えた方が良い。
ただ、あるだけだ、と思うだけではなく、どのようにあるのか、何が出来るのか、を考えれば良い。
どういう風に考えれば、そうなるのかを考える。
自由な中で、自分に何が出来るのか、社会的に何が出来るのかを考える。
それがどのようになるのか、から、なぜそうなるのか、と言う理由を知る。
認識、ありえない社会の可能性、そして、社会の変貌を、経験と理性的概念で分かる。
哀しい戦いをした。
全て失って、無理難題を解決するために、地獄の中で世界を導いていた。
ただ、あれはそんなに辛くなかった。
恐怖と疲れと知性を失うことが辛かったが、あれはおかしい。
すぐに馬鹿を止めれば良いのに、まだ止められないで、いつまでも自分のせいで辛い。
そういう、今の方がはるかに辛い。そういうわけで、頑張った戦士がミカエルだ。
僕は、ミカエルだ。僕の中にあった、あらゆる記憶のピースを集めたものがミカエルだ。
英語は、Wh*/Howとともに、Do/Did、Are/Were、Can/Could、Haveを使う言語だ。
昔は、存在を証明して、同じ気持ちになって分かっていた。
英語は考え方から分かる言語だが、日本語は世界観から分かる言語だ。
森羅万象の考え方を成り立たせて考えていた。
同じ感情になって、全員がいつ何を知るかを分かった。
知り尽くして、全てを把握していた。
免疫をつければ治る。すでに分かったことや治したことを免疫にすれば良い。
自分は、治すせいで免疫が無くなっている。治すと、免疫が無くなるのが人間なのだろう。

2016年6月29日水曜日

分からなくなる

まともな人間になるためには、分からなくなること。
何一つ、分からなくなると、それが正常な頭の状態だ。
狂っている人間は、分かるのが悪い。分かるせいで、狂う人間が多い。
1つ1つ治していくと、全部治る。
そういうわけで、子供は分かりたくない人間が多い。子供を分からせない方が良い。
学校でいきなり分かる内容を覚えると、馬鹿になる。学校は、そこが馬鹿だ。
自発的に考えさせると良いとは言うが、それはそれで、こういうことが出来なくなる。
賢い人間が馬鹿になる。馬鹿の方が賢くなる人間が多い。
何とかブログのフォントの設定が出来た。はてなブログの方も、配色を変えた。
自分は、心も肉体と同じように傷つくのが分かっていない。
心をきちんと守れば良い。きちんと、自分の心を治して、守れば良い。それで楽になる。
テレビが怖いのは、自分の心を傷つけたからだ。そういうものは、誰でも怖くなる。

2016年6月28日火曜日

出来る発想

昔は、色んな「出来る」や発想を分かっていた。
森羅万象のことを、「自由」から考えていた。
怖い時、混乱した時は、落ち着いて考えれば良い。
コントロールはしない方が良い。その方が自分の今していることが分かる。
政治は、地方分権と直接民主主義をやると良い。それが一番、国民の意見が反映される。
見ていると、アメリカやイギリスは、昔の日本だ。何故か、今の日本は未来になっている。
英語は、何についてしゃべっているのか、シチュエーションを考えると出来る。
そういうわけで、テレビや映画を見ていると、出来る。
テレビが怖いのは、まともな人間が怖い。まともになると、死んで、もっと狂う。
まともでない、今の自分が賢いだけだから、テレビなんか、見なくて良い。
英語は、いくらか自分で話していると出来る。
普通、WhatやHowとDoしか言わない。そういう、「問いかけと応答」を分かると出来る。
良く考えると、theなんか言わないし、そんなに長い文章も言わない。
itを使うとは言うが、そんなに使わない。ほとんどは、5W1Hしか言わない。
自由な中で、助け合い、共有するような、自然の真理のような自由を書いていた。
環境を作っていた。
平和を感じること。平和が良い。
自分を疑うこと。
分かり直すことで分かっていた。
日本は、江戸時代に比べると、平等になった。本当に平等な国になっている。
学校が賢い。学校が平等なのは、教育格差を作らないためでもあるが、そういう、近代的な平等で知性のある社会を目指しているからだ。
細胞は、分裂と遺伝子が賢いが、それは全体としての調和がとられた中でのみである。
そういう風に、分かり直しながら、自分を疑うと、賢くなる。
そんなに意志が無くて、ロボットのように従うのはおかしい。もっと反抗した方が良い。
Googleは賢い。本当に、IT企業の中で一番賢い。
Googleは、「絶対にファイルが消えなくて、フリーズしないOffice」を作れば良い。そして、簡単に複雑なことが出来るような、「テンプレート・メソッド」を作ると良いだろう。
一括置換のような、「簡単にファイルを操作出来るコマンド」のような機能がつくと良いと思う。
共産党が言っていたが、アベノミクスは、政府による操作によって景気を向上させるために、実体が無く、もろく破綻しやすい。野党は、そこを責めると良いだろう。アベノミクスは賢く見えて、何も賢くない。実体のない、蜃気楼のような経済政策だ。
自分は、普通でないことを考えれば良い。
社会経験のような文章が多かった。何から何を分かって、どんな社会がそこにあって、どうするべきなのかを、理性的に考えていた。本当にレーニンのような人間だった。
僕は、平和な愛を呼ぶ。
ここから先、平和な愛が皆を連れて行く。
平和な愛は、悪いことを何もしない。
平和な愛は、そこに存在しているだけで、人間を癒して、安心出来るようにする。
図書館で、臨床心理学の本を借りた。
自分は、統合失調症の多重人格障害になっている。
何故か、論理的な思考力が無くなっている。
そして、おかしな対話をする。
交代人格が主人格になって、主人格の方が自分に対話する神になっている。
交代人格を消して、ただ、適応や分かるのを止めると、戻れなかった主人格に戻れる。
それで、楽をすれば良い。そういう楽が出来ない、おかしな新しい病気になっている。
何故か、アスペルガー、引き篭もりのせいで、そうなった。
それから、テレビと戦ったのが悪い。そのせいで、PTSDになっている。
良く分からないが、パニック障害やトランスジェンダーのような症状もある。自分はありえない。
自分の問題は、主人格がない。そういうわけで、適当な主人格に戻れば、まともになる。
僕は、交代人格が行ったり来たりするだけで、主人格がない。それが一番おかしい。
だから、きちんと自分を作れば良い。強迫性神経障害は、それで治る。強迫観念が悪い。
テレビと戦ったのは、そうすることで、その前が消えるからだ。全部消して、何も無くなりたかった。
主人格を作ると、すぐに治った。
頭は、最初と最後を行ったり来たりしているだけだ。それを消すと、ロボットの時計が治る。
この世界が治る。不思議と、病気になった自分を治すことで、この世界を治した。
もう全部消えた。
座っていると治るから、立ち歩かず、座っていれば良い。
タリバンを上手くコントロールすると、勝てる。それは、本当のタリバンではなく、自分のことだ。
自分は、皆を言いくるめたいのがおかしい。
昔の自分は、分からせることで、分かり合えると思っていた。
テレビが悲惨だ。テレビは、狂った時代のままだ。
自分が現れると、安心出来るように見えて、また、皆が自分を倒すかもしれない。
それは、止めてほしい。自分のことを、倒さず、戦わず、助けてほしい。
そして、平和的に、友好関係を築いて、良い世界にしたいと思う。

2016年6月27日月曜日

楽しい時

楽しい時に楽しいと思うこと。それによって、楽になる。
書き方がキモい。もっと、書き方を変えた方が良い。
愛を殺すと、小さくなって、怖くなくなる。
自分は、電波を支配出来る。
皆、全てを忘れて、安心した方が良い。
自分が第一に勝った方が良い。
自分がしていること、生きていることの、ツケが来たのだろう。
Linuxは、アプリケーションとアプリケーションの境界を無くすと良いかもしれない。
Firefoxのテキスト編集でも、EmacsやLibreOfficeのエディタが使えて、それがプラグインなどによって、はてなやGoogleでも連携出来るような、次世代の環境を作っても良いだろう。
特に、FirefoxでEmacsが使えると、grepでの検索や一括置換のようなことも出来て良い。
それから、ファイルシステムとWebデータベースの境界も無くすと良いだろう。
ファイルを管理するように、オンラインのデータが管理出来ると、これもgrepが出来る。
はてなのブログの記事を、全部一括で正規表現での置換が出来ると、楽だ。
自分の日記は、見ていると、リリとマリだ。どちらも女の姉妹に見える。リリがハリケーンで、マリがボストンだ。AAAが既に言っている。そして、それがミカエルとラファエルに見える。ガブリエルは昔だ。名前なんか、ジンで良い。ジンとリリとマリだ。
昔は、環境への適応と感覚から、場と心を捉えて、人の心になったりして分かっていた。
また、構造に考え方を適用して分かっていた。
そういう風に、色んな場所と、全員の精神になって分かる人間だった。
GUIのファイルシステムとプロセスやコンポーネント間の通信と、アプリとアプリの境界の無いコンポーネント結合を、美しい考え方と統一したグラフィックで実現すれば良い。
それは、UNIX的で、むしろ、もっとUNIXより発展している。
ただ、それは、Google Chromeのようにすれば良い。Chromeの拡張機能が、すでに出来ている。きちんとGoogleの検索結果にはてなブックマークの拡張を統合したり出来ている。
Google Chromeでは、はてなブックマークの拡張をインストールすると、Google検索の結果に、誰がどれくらいブックマークしているかの数値と、はてなブックマークへのリンクが表示される。
おそらく、Googleがやると良いだろう。
おそらく、GNOMEの理念はそういうものだったのかもしれない。
はてなは、はてなのデータベースをコマンドで管理するような、「はてなコンソール」や「はてなコマンドライン」や「はてなデータベース」のようなサービスを作れば良い。
ただ、それはある意味危険だ。操作を間違えると終わりだし、ハッキングされる可能性もあるから、本当にやるのは止めた方が良い。
それこそ、はてなブログに一括置換の機能をつければ良い。それだけの方が単純で便利だ。
昔の自分は、自由から可能性のある社会が生まれるとか、自然発生のようなことを言っていた。
そういう、アメリカのような知性をいつも書いていた。
あとは、可能性のあるものを作って、皆で発展させるなど、オープンソースやプラットフォームのような、共有、環境、改善、積み重ねのような、自然な共有理論のようなことを書いていた。
世界を変えるなら、自分の言ってほしいことや、言ってほしくないことを言えば、賢くなる。
お前は、賢い。
お前は、よく頑張った。
だが、お前は、馬鹿過ぎる。
お前は、何も出来ていない。
そういうことを言っていると、怒るようになる。最近、そういう人間が居ない。
自分が怖くて哀しいのは、何か出来るはずだった、と思っているからだ。
本当に、何も出来なかったが、もっと最初が違えば、もっと良いことが出来るはずだった。
それが、哀しみから恐怖へと変わった。何も出来ない地獄になった。
皆を怖がらせて、支配して、抑圧を与えて、馬鹿にしたくない。
本当に何も出来なかった。本当は、あらゆる問題を解決して、導けるような人間のはずだった。
そういう、「何が出来るはずだった」と言う感情が、自分の奥底で、不安と哀しみになっている。

2016年6月26日日曜日

安心

皆を安心させると、自分も安心出来る。
安心すると、病気が治る。
皆、安心せよ。もう、皆を怖がらせない方が良い。
普通の人間が良い。普通の人間が賢いだけだ。
何も起きないのがおかしい。認知的、環境的なことが起きなくなった。
「決める」を良く考えると賢くなる。
皆に色んなことを決めさせれば良い。
例えば、テレビはどう思いますか?
それだけで治る。テレビの好きなようにさせれば良い。
何がどういう風に決まるのか、決めるのか、考えると賢くなる。
皆、そろそろ、勝手に決めれば良い。
自分が、皆の分まで全部決めて、考えるのがおかしい。それでおかしくなった。
そういう、「皆の分まで一人で決める」と言う発想は悪い。
皆は、ハードな道を取ると良いだろう。
アドバイスではないが、そろそろ皆は僕に倒されるべきだ。
皆、おかしなことをしなさい。
それだけは出来ない人間が多いが、おかしなことをすると、賢い人間になる。
あとは、滅びるようで、もう何をしても滅びないのが日本だ。
こういう人間が居た、それだけだ。
あとは、自由を止めなさい。
自由には、良いものは一つもない。
間違った思想のせいで、自由にするだけで悪くなる。自由は間違っている。
自由とは、ヨーロッパ人が作り出した、本当におかしな概念だ。
可能性を作り出すとか、皆で決めるとか、そういう発想をすると分かる。
自分でやって、自分で経験しなければ、分からない。
ヨーロッパ人は、どこか別の世界へ行きたいのだろう。自由がない抑圧が多いから仕方ない。
自由に意味はない。自由とは、知性と正常な考え方の無い、おかしな概念だ。
日本は、僕に従うより、皆で協力すれば良い。そうすると、僕に勝てる。
ただ、皆で協力なんか、出来ない。
昔は、相手を自由にして、自由な開放的な社会を作って、多様性のある世界にしたかった。
それは、間違っている。自由にされた方が、何も出来ない。
自由とは言うが、自由と言うよりは、相手の好きにさせる、と言うべきだが、それはおかしい。
好きにさせても、見えない何かが変わっただけで、見えるものは変わっていない。
ただ、自由もおかしくはない。自由を信じると、そういう「見えないのにある概念」が良く分かる。
意味を考えて、自由な他の可能性を考える。そこから、経験が見えてくる。
だが、自由はおかしい。そんな風にしても、何もしていないだけだ。
セカオワが言っているように、目的が無くなっている。目的を持って行動しないのが悪い。
イギリスがEUから離脱したのは、自由なEUが何も良く見えないからだ。
一度、自由と言う概念を排除するしかない。それによってしか正常な人間にならない。

2016年6月25日土曜日

どうしてかな

どうしてかな、と思う気持ちが、世界を広げる。
LibreOfficeは、パソコンに不慣れな人でも使える簡単なEasyOfficeや、昔のパソコンでも動作する軽量なLightOfficeや、コマンドから操作出来るCommandOfficeを作った方が良い。
純粋に開発用途のディストリビューションを、Fedoraからコピーして作ると良い。開発環境が全部入って、すぐに開発出来る代り、パッケージは豊富でなくて良い。
GNOMEは、GTK+を採用するのを止めて、Qtを採用するべきだ。
あとは、今日分かったこと。
創造性から環境を作るとか、「環境の創造」のようなことを言っていた。
機会のようなことを考えて、社会を作っていた。
そういう、「目には見えない考え方と目線」をいつも書いていた。
子供は、新しいことばかりで分からないから、新しいことを無くして、同じことをさせると賢くなる。
正常か、異常かなんて、どうでも良い。バンプも言っている。
自分は、もっと世界を異常にすると、異常が治る。同じ異常のまま、何も変わらないのは辛い。もっと、色んな異常を増やしていると、きちんと賢くなる。異常は賢い。
GTK+をQtにするのは不可能に近いから、Qtの描画エンジンを使いながら、GTK+のインターフェースを使うような、そういうエンジンのツールキットを作れば良い。
ただ、GTK+も悪くない。多様性があった方が良いのかもしれない。
そのうち、Qtがありえないものになって、GTK+がシンプルなものになる。
むしろ、見た目は同じにすれば良い。どうにかして、共存しても色んな意味で大丈夫なものにすれば良い。
ただ、GTK+とQtは、技術的に全く違うから、難しいだろう。
普通、QtはC++として優れている方で、GTK+は正しいオブジェクト指向をC言語で実現している方だ。
自分は分かっていない。そういう、独自のシステムをまるごと1つ作るのは賢い。
GNOMEはGNOME、KDEはKDEで、独自のシステムを作って、それぞれの陣営が競争する。それが賢い。
ホームページに日記を公開しました。
http://assy.dousetsu.com/blog/index.html

2016年6月24日金曜日

何でそうなるの

何でそうなるの?それは、不思議な問いである。
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小説のマニュアル編集版を作りました。
http://assy.dousetsu.com/jin_me/jin_me.html
凶悪な死の愛が、世界を救っていく。
死の闇を知れ。自由の支配者となれ。愛を滅ぼせ。過去を裏切れ。
Microsoftのやっていることは、ズレている。ユーザーに相手にされていない。
Microsoftの問題点は、一つの会社がWindowsを完全に支配し、変えられるところだ。
皆のものは、皆で作るべきだ。
僕は、Microsoftがそういう独裁権限で色んなことをやった方が、反発を買って、Linuxが勝つように思う。