2016年7月1日金曜日

集団意識

昔は、集団意識や環境の意識を考えていた。
最近、失敗しなくなったが、それが悪い。もっと失敗した方が良い。
考え方からモデルと経験で、自由を分かっていた。
社会経験を知って、マスターのようになった。
森羅万象を考えていた。
自分は、理系の基礎が分かっていない。基礎の方法と構造を知った方が良い。
あとは、勉強はもう良い。そろそろ、仕事がしたい。
勉強をするなら、経済と法律をするのが一番良い。
放送大学は卒業したいが、むしろ、出来ない。難しい。
江戸時代の大名は、参勤交代によって、江戸と地方を行ったり来たりして、妻や子供などの人質を江戸に置いた。そのことによって、江戸時代は安定した。
ただ、そういう、反動体制、抑圧体制は、長くは続かない。
ペリー来航とともに、日本は開国を迫られ、それが倒幕運動へと繋がった。
日本人は、日本も外国も、全部違った世界だと思っているところがある。
外国人はそうではないのだと思う。ヨーロッパ人は、世界なんか全部同じに見える。
アメリカなどが日本人を理解出来ないのは、そのせいだと思う。
皆に分からせるのではなく、自分が分かった方が良い。
分からないのに分かったフリをするのは悪い。
個人主義でも全体主義でもない、皆で考え、決める、自由な社会を作るべきだ。
それが、民主主義の理想だ。
右翼は指導者を自由にするが、左翼は民衆を自由にする。
社会の可能性か、自分が勝つ可能性か、のようなところが違う。
勝つだけの右翼の方が悪い。左翼には理想がある。
全てがおかしくなった世界では、何を信じるか、何を疑うか、何が間違っているか、何が正しいか、良く考えて、経験と理解からビジョンを持つ必要がある。
それは、ブッダの言っていることを参考にすると良い。
特に、本当に信頼出来る仲間でないならば、旅への連れ合い人にはせず、きっぱりと一人で旅に出るべきだ。
そういう風に考えて、一人分かっていたのが、昔の自分だ。そういうマスターだった。
そして、社会のことを書いていた。社会をどういう風にしていくべきか、と言ったことを、マスターや救世主のような視点から、色んな社会を知ると言うような、社会経験のこととともに書いていた。そういう、吉田松陰のような人間だった。
政治、哲学、人間個人、社会全体、人生、経験の思想を、メタ的なモデルと会話の体験から分かっていた。
それから、物理的な考え方もあった。ネットで知識を知りながら、概念と可能性を考えることによって、積み重ねと方法から、自分の数学を作った。数学者のように分かっていた。
昔は、賢くない。インターネットとオープンソースだけで、そこまで分かった。何も出来ない馬鹿だった。遊びながら適当に考えていただけだ。ただ、真面目にプログラミングをしたかったが、出来なかった。夢を追いかけて、挑戦と失敗をたくさんしたし、社会のことも知ったが、本当に、何も出来なかった。もっと、大学のような場所に居た方が良かったのかもしれない。だが、自由に一人で考えながら、社会のことを知って、この世界をどういう風に変えるべきか、どのように自然を捉えるべきか、全て分かっていた。何も出来なかったが、あらゆることを考えて、全て解明した。
昔の自分は、認識と人生の段階と過程、数学的な考え方と積み重ねと知性、経験の捉え方、思い込み、社会と環境の変化と自由、知の概念と習得と形成の過程で分かっていた。
そういうわけで、数学は出来ている。数学が誰よりも出来た人間だった。
昔は、直感と解放で分かっていた。心を解放して、自由で分かった。
全てを感情で知り尽くしていた。真面目に考えて分かっていた。
昔は、世界観や認識など、本質的な人間のことを、経験のような視点から考えていた。
実際のところを考えて、認識の段階を知った。
今考えると、この世界は賢くない。皆が馬鹿だから、つまらない。

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